◆ CR:5式正月 ◆
2012年明けましておめでとう更新で、CR:5のクリスマス・ホリディ・シーズンのお話です。
「あれ? ほんとにここ? おまえ間違えてねぇ? 何か、変わってんね、この部屋」
ドアを開けたジャンが振り向いてイヴァンに聞いた。変哲の無い、普通の部屋だ。深緑色のカーテンは開かれて、午後の光がレースのカーテンを通して差し込んでいる。
「間違えてねぇし。床張りにラグ敷いてあってテーブルがあんだろ、フツーだろ、変わってねぇよ」
ジャンのツッコミにイヴァンが弁解のように答える。
「テーブルが毛布かぶってるのが変わってんだろーがよ」
カツカツと踵を鳴らしてジャンが先頭切って、その部屋に入る。小さな部屋の真ん中にはちんまりと床の上に置かれているテーブル。変わった事にそれは彼らの膝の高さよりも低かった。さらに奇妙なのはその上には毛布が被せられており、毛布の上には大きなテーブル板。さらにその上に食器が並べられている。ここだけは普通。
「試食会だから変わった趣向なんじゃないか? ああ――毎年そうだがさすがにバテたな。今の俺は床の上に座れと言われたら素直に座るぜ。はは。これはどこの習俗だ? こういうコンセプトのレストランでも作るつもりか、ジュリオは。どれ?」
ルキーノがどっかりとラグの上に座り、スカートめくりの手つきで毛布をめくり上げた。タフなルキーノさえも連日連夜のシャンパン洪水に疲労困憊していた。
「お、中、暖かいぞ。中に…ああ、デカイ湯たんぽが入ってるぜ。多分アルコール入れる携帯カイロのデカイヤツだ」
「って事は靴脱いだ方がいいのか? あ、イヴァン、そこのクッション取ってくれ」
「新年早々人遣いあれーよ。でも今日で一段落だな。年末から睡眠時間平均三時間はさすがにキツかったな。…おい。投げんぞ、ほら」
ジャンは何だか楽しそうに靴を脱いで、がっちりキャッチしたクッションを尻に敷き、ルキーノの向かいに座った。
「もしかして、これが今日の主役か?」
イヴァンが上着を脱ぎ、シャツの前ボタンを外しながら東洋の修行僧みたいに脚を組んで座り、立て肘でテーブルの上のモノを凝視した。
彼らが初めて見るものがそこにあった。
「コレ、何だろうな?」
皿の上の白いモノをジャンが摘み上げた。手のひらに収まる白いものだ。生で食うには硬そうに見える。
「消しゴムにしちゃ大きすぎるな。皿の上に乗ってるんだから、食い物だろうさ。もしかしたらコレが俺たちを歓迎するはずの今日のヒロイン様か? …にしても地味だな…」「これ、は――。少し変わっているね」
指先で摘んだものの表面に爪を立てながらベルナルドがジュリオを見た。
「白さがとてもキレイだと思う」
「なるほど、初めて見たよ。ああ、弾力があるな…」
「食べてみてくれ。売り物になると思うか?」
ベルナルドは少し不安そうに眉間に皺を寄せ、ジュリオに助けを求めるような視線を向けた。それをまっすぐに受け止め、ジュリオはさらに勧めてくる。
「大丈夫だ。とても美味いと思う。試してくれ、ベルナルド」「でもコレどうやって喰うんだ? 固ぇよ。なんつーか、乾燥パスタみたいじゃね? いや、…そうだな、これ薄く切ったらラザニアみたいにならねぇ? これ。あ、茹でてみる?」
部屋の隅には小さな流しが設えてあり、コンロの上には小さな鍋が置いてあった。
「おい、冷蔵庫にビールでも無いか? 喉が渇いちまった」
「俺も飲みてぇ」
イヴァンが袖をまくり上げ、四つんばいで小さな冷蔵庫に向かう。こんな姿は部下には絶対に見せられない。
「あ? 意外とシケてんな、ボンドーネ。ビール入ってねぇし。オリーブオイルにマヨネーズとケチャップとか…。あ! チーズがあるぜ」
人の家の冷蔵庫を勝手に物色する幹部というのも見せられない部下には見せられない図だ。
「……コレ、酒じゃね? 雰囲気がソレっぽいぜ? ジンか――ウォッカかも知れねぇ」
イヴァンの肩越しにジャンの手が伸びてきた。掴んで振った透明な瓶の中で水のように見える液体が揺れている。
「雰囲気で分かるのかよ」
「よく見ていなさい、おばかさん」
ジャンは悪戯っぽく笑うとカポン、と、口で蓋を開けてそのままごくりとひとくち。
「う…っ!! なんだコレ…!!」
ジャンが口を押さえて眉を寄せ、肩を震わせた。
「おいっ! 不用心に飲むなよ、こんのバカ野郎! ルキーノ、吐かせっから手伝え! 水!」
イヴァンが慌ててジャンを床に押し倒す。床に広がった金髪が硬い冬の日光に光る。
「……うめぇ…」
「はぁ!? ――ファック! 妙なリアクションすんなよ、慌てんだろうが!!」
ジャンはニヤニヤ笑いながらイヴァンを見上げている。イヴァンは簡単に引っ掛かったのにバツが悪いのを誤魔化すかのように唇を噛んでジャンを睨み付けている。
床に転がっている透明瓶を座ったまま手を伸ばして(やはり、部下には見せられない格好だ)引き寄せると、ルキーノは香りを確かめた後にぐびりとあおった。
「お…美味いな。――飲んだことは無いが、これはいい。バナナみたいないい香りがする。――何か…なんだろうな。実にまろやかだ」
「おい、ルキーノ。空きっ腹に飲むと回るぜ」
「そうだな…何かあるか? 冷蔵庫」
「これ――薄切りにして食おう。焼いたらクラッカーっぽく食えそうじゃね? 皿に乗ってんだから食いものだろうし」
「ナイフナイフ…っと。チーズ出してくれ、イヴァン」
ジャンは吊り戸棚や食器棚の中を物色し始めた。
「試食会だから腹空かして来たのに待ちぼうけだしな。はは、もう先に食っちまおうぜ」
「これも飲もうぜ。何本か冷蔵庫に入ってるし」
一瞬で三人の意見が一致した。こんな事はもう数ヶ月はないだろう。
「次はこれを。ベルナルド」
ギラギラ光る手入れの行き届いたナイフで真っ二つに断ち割られた断面はぐちゅぐちゅしていてちょっとばかり、いや、かなり気持ち悪い風情だ。色もイイカンジに茶色と山吹色が混じっている。
(これはちょっと…)
ベルナルドは怯んだ。
「どうした、早く食べて感想を教えてくれ」
ジュリオがベルナルドの目の前にぐいっとぐちゅぐちゅを差し出して、皿に置いた。しかし見た目に反してそのぐちゅぐちゅからはいい香りがふわりと漂って来る。嗅いだことのない匂いだったがベルナルドはふと心が和むのを感じた。
「…いい香りだな…。試食会でもあるし、いただくか」
ベルナルドはぐちゅぐちゅをスプーンですくい上げると口に運んだ。一瞬たりとも休めないクリスマスシーズンをCR:5カポと幹部は全員倒れずに何とか今年も乗り切った。
毎年の事とはいえ、彼らは今日、疲労の極限にあって体力はもとより、判断力も思考力も鈍っていた。――というより、全てがゼロに近い状態だった。
ジャンと幹部の今日の予定はジュリオの屋敷での『試食会』のみだった。
ボンドーネが中米から輸入しているトロピカルフルーツの新たなラインナップを決めるためのもので、これが終われば明日から短いが完全にプライべートな休暇を楽しむ予定だ。全ては順調に進む筈だった。
ジャンの仕事が予定より遅れ無ければ。
ボンドーネの屋敷に行く途中に用事があるからと、ベルナルドが一人で先に本部を出なければ。
そして――ボンドーネのイタリア人執事のイタリア語をイヴァンが聞き間違えなければ。
階数と方向を間違えたジャン、ルキーノ、イヴァンの三人が入ったのは、ジュリオの部下・チコの私室だった。
日系のチコは、祖母から米で作る日本のサケや、同じく米で作るモチの作り方を教えられていた。いいコメを手に入れた彼女は、上司であるジュリオに地下室でサケを作る許可をもらった。そして、何ヶ月もかけて地下室でサケを作った。いい具合に発酵が進み無事にサケが出来た時、チコは本当にうれしかった。瓶に詰めて、今日のために大切に保管していた。昨日、時間をひねり出して何とかモチもついた。ガスでモチを焼くための金網も自作し、先月、給料を受け取るとリトル・トーキョーの食料品店に出向き、ソイ・ソースとソイビーンフラワー(きな粉)を買った。
準備は万端だった。
何度か祖母と迎えた、日本式のショウガツを再現出来るとワクワクしていた。彼女がどんな時でも休んだ事のないトレーニングを終え、汗を拭きながら自室に戻ると、思いもよらない事態が展開していた。
丹精込めた冷蔵庫のサケは、全て、上司の属する組織の幹部たちに飲み尽くされ、空瓶が数本床に転がっていた。カポと二人の幹部は、チコのコタツに脚を突っ込んでそのまま寝そべって寝息を立てていた。心なしか顔が赤いのはアルコールが回っているからだろう。テーブルの食べ残しを見ると、モチは薄く切られてオリーブオイルを引いたフライパンで焼かれたようだ。匂いからすると、冷蔵庫にあったチーズやトマトケチャップを乗せてピッツア風に焼いたらしい。その証拠に、フライパンの縁には赤や黄色が焦げてこびり付いていた。チコは一瞬だけ唖然としていたが、部屋を見渡して事態を把握するといつもの冷静さを取り戻し、彼らが酔って寝ているだけなのを確認した。次に、寝室から持ってきたブランケットをそれぞれに着せかけた。
どういう事情でこうなっているのか分からないが、ボスであるジュリオに報告の義務があるのは明らかだった。
チコは踵を返すと、今日ジュリオがいる予定の部屋に走った。
もう、自分のショウガツの事などどうでも良かった。
ノックしようとすると、扉がチコの目の前で開いた。
中から現れたのは、自分が生涯の忠誠を誓っているボス、ジュリオ・ディ・ボンドーネだった。いきなり開いた扉に彼女は戸惑ったが、冷静に自分の部屋の異常な事態を報告することにした。
「報告します。カポと幹部の皆様が――」
「ああ、今来たのか?」
「いえ、そうではありません。が…」
「…どうした? 何かトラブルか?」
「実は――」
事情を説明し、チコは指示を待った。
「そうか…。それでは下に言って寝室を四つ用意させてくれ」
「四部屋…ですか? おやすみになっているのは三人で――」
「ああ、ベルナルドもここで寝ている。頼む」
意外な言葉にチコが部屋の中に視線を投げると、ベルナルドの特徴的な長髪がテーブルに突っ伏しているのが見えた。トロピカルフルーツの試食会と聞いていたのに、なぜだろうと思った表情を受けてジュリオが答える。
「――ああ、パッションフルーツには疲れている者を癒やす効果があるらしいからな。食べさせたらいきなり寝てしまった。極限まで疲れていたんだろう」
「…承知しました。すぐに四部屋用意させます」
チコは頭を下げ、今度は階下に走った。この後、四人の幹部はまる二十時間眠り続けた。
目を覚ました幹部たちは、自分たちの貴重な自由時間を潰してしまったのを悔しがっていたが、思う存分睡眠を取ってすっかり疲れが取れている事に気付いてからは上機嫌だった。
一日遅れだったが、彼らはそれぞれの休暇を過ごしに出掛けて行った。CR:5が通常業務に戻ってしばらくして、ボンドーネ家のチコに幹部から見事な花束とシルクウールの、フリンジで飾られた美しいストールが届けられた。
カードには新年祝いを台無しにしてしまった詫びが美しい筆記体で丁寧に綴られていて、追伸にはこうあった。『君に上等のジャポニカ種の米を預けて、あの、とてつもなく美味い酒を作ってもらいたいと思っているがお願いできるだろうか? あの美酒をもう一度飲みたいと幹部全員が切望している。 それからもうひとつ。あの白い食べ物の正しい食べ方を教えてもらいたい。チーズを乗せたものも美味だったが、ジャポーネのトラディッショナルな調理法でも食べてみたいと思っているのだが、どうだろう?
CR:5カポおよび幹部より』
END
2012年元旦の更新です。
正月=餅、餅=コタツ、という感じです。
なんというか、単純ですが(^^;
2012年もどうぞよろしくお願い致します。
ちなみにベルナルドが食べていたのは、茘枝とパッションフルーツです。