トーキョー・コスモポリタン
2012年3月の新刊です。小説本。
* Giancarlo's LUCKY HAPPY LIFE の ベルナルドルート、二人がハリウッドを追放されたエンド後のお話です。
二人は日本に渡り、東京で離れを借りて生活をしています。ある日、ジャンは一人で出掛けるベルナルドを尾行することにしますが…?
*
2011.3.18 発行予定
A5版(二段組)/54P/FC/オンデマンド/500円
* サンプル *
ベルナルドと二人、この、ジャポーネの首都・トーキョーにたどり着いたのはまだ雪がちらついてるシーズンだった。
「ひゃー、さみーー!!」
降り立った桟橋で、俺は海風に遠慮無く晒されて帽子を押さえ、ばたばたする上着の襟を慌てて掴んだ。
「ここが、ヨコハマ、か…。なるほど、モダンないい街だね」
ベルナルドがコートの裾を翻しながら初めて見る港町に向かい、両手の指で四角を作って呟いた。その横顔には微塵も暗さが無く、俺は密かに安堵に似た気持を持った。
下町と軍隊と高級ホテルのベッドしか知らない俺たちは、どうせならと、ジャポーネの伝統的な宿に泊まるのを決めた。何事も経験ってヤツだ。
外国人向けのホテルから下宿に移った当初はゲンカンで靴を脱ぐのにすごく抵抗があったけど、慣れてしまってからはいつだって泥で汚れていない床やタタミにごろりと寝転がれるのはすばらしいと思うようになった。
「ベッドに組み伏せるのとはまた違う隠微さがあるね…」とかコきやがって、ベルナルドが唐突に妙なイメプレに走るのが困りものだけど、タタミの独特な草の匂いとか背中にあたる感触は嫌いじゃない。
宿を移って早々、世話をしてくれてるナカイさんに俺たちの関係がバレた。
一応、ハナレっていう独立した部屋を借りてたけど、アンラッキーにもバレた。紙で出来た建具の向こうに声や音が筒抜けだったらしい。それを知ったベルナルドが慌てて金を包んで口止めをしようとした。が、ナカイさんは俺たちが慌てているのを訝しんだだけだった。
少し仲良くなってから聞いたけど、彼女が恐れていたのは俺たちが犯罪者だったら、という事で、ジャポーネでは昔からその、男同士の――まあ、そういう関係は特に禁じられているものではないらしい。
すげぇ、ジャポーネ、まじすげぇ。
なんてオオラカなんだろう。
お国変わればってヤツにしても、開いた口が塞がらなかった。ステイツじゃ細心の注意をして絶対にバレないようにしてたのにジャポーネだとOK? 信じられねぇ、と眉を寄せて俺たちは無言で目を合わせた。
でも、ナカイさんと話し合って、ホテルみたいに出入り口に木の札をかけて合図することにした。
少しずつ暖かくなって春になり、ぶらぶら散歩してると、サクラがそこかしこに咲いててサイコーだった。
近所の公園で夜、真っ赤なヒモウセンってのに座ってハナミってのもした。ライス・ワインで悪酔いしたのは置いといても最高にファンキーだった。
そういえばデイバンにもこんな桜並木があったなーなんて銀座で買ったあんパン食いながらベンチで二人でぼーっとサクラ見てたら、声を掛けられた。
下宿の前の坂道に住んでるおじさんで、顔を覚えてから会釈位はしてたけど、話をした事は一度もなかった。ニコニコ笑って小さな杯にサケを注いでくれて、ジェスチャーで意志疎通して飲んだらまた注がれての繰り返しになった。
杯を重ねる俺に、ちびちびと酒を舐めながらベルナルドが肩を寄せてイタリア語で言った。
「おい、ちゃんと考えて飲めよ」
「大丈夫だって、ベルナルド。おまえもっと飲めよ、すげー美味いぜ?」
調子に乗って初めての酒を考えなしに飲んで、正直なところさすがに回ってた。
その夜俺はイタリア語と英語とカタコトの日本語で何やら饒舌だったらしいが全く記憶が無い。何かしたかと聞くと、ベルナルドは意味ありげな微笑みを浮かべるだけだからきっと死にたくなるほど恥ずかしい事をしたにちがいない。裸踊りとかしてなきゃいいけど。
ハナミの翌日に二日酔いで半ば死にながら下宿の坂道を歩いていたら、おじさんが笑顔で声を掛けてくれた。ちょっとびっくりしたけど嬉しかった。それまでは慇懃に会釈するだけだったから。
「しかし、いいタンカだったねぇ、ほれぼれしたよ、兄さん」
って言われた。その場は「アリガトーゴザイマス」って言うのが精一杯だった。日本語わからねー。その夜、ナカイさんに「タンカって何?」って聞いたら、日本の短い詩か病人を運ぶ時に使うアレだと教えてくれた。詩なんか作れねぇから、多分、俺は気分の悪くなった誰かを運びでもしたんだろう。そうか、人助けをしたんで声を掛けてくれたのか。全然覚えてねぇ。
だけど、細い三日月が雲の切れ目から覗いてて、木を見上げると満開の桜が風がそよぐ度、枝から雨粒みたいにため息みたいに降ってくる花びらが夢のようで、超絶キレイだったのだけは覚えている。
ハナレの世話をしてくれているナカイさんが、俺は大好きだった。昔、女学校で少しだけ習ったっていう英語で一所懸命いろいろ話そうとしてくれていたし、優しくてしかも仕事はきっちり。年格好も母親くらいで、マンマってこんな感じかも、なんてね。
サクラが終わってしばらくすると、ツユ(最初は To You に聞こえて困った)って長雨が続いてそれが終わったと思ったら死ぬほど蒸し暑い夏がやってきた。
俺たちのハナレには冷房が無く、毎朝汗みずくで(ベルナルドのせいで大抵二人とも全裸なんだけど)フトンの上で目が覚めた。雨が上がって二週間を過ぎると、外出の時身だしなみを整えないと気が済まないベルナルドがとうとうネクタイを諦め、しまいにはシャツのボタンを一つ外して外出するようになった。ジャポーネの気候、マジパねぇ。
蒸し暑さに耐えきれず長い髪をポニーテールに結ったベルナルドは、今、九月になってもしっぽを生やしたままだ。
ま、そんなこんなで毎日が新鮮なワケで。
「あ、ちょっと寄る」
二通の分厚い大きな封筒を指で弾いてベルナルドが言った。
「またステイツに出すの?」
「ああ、残務処理ってところかな…。全部処理しきれてなかった。はは」
「ごくろーさま。俺、外で待ってる。終わったら昼飯な!」
ベルナルドが郵便局に消えると、俺は壁にもたれ掛かって行き交う人をぼーっと見てた。街路樹は桜。今は青葉を繁らせている。春はキレイだったよなぁ…なんてちょっとおセンチになってみる。考えてみればもうジャポーネに来て何ヶ月にもなるんだよな。
一番上に乗ってるソバを二本だけ摘んで上にぐぐっと引っ張って一口分取り分けてツユ(コレも To You に聞こえて困った)にちょっとだけつけて啜って喰う。音を立てて啜るのがいいんだって。これも驚きだった。テレサマンマの前じゃ絶対こんな風にズルズル音立てて喰えねぇって思うもん。不作法だ! って、いつ拳骨が降って来るか怖くてこんな真似絶対できねぇ。
ごくん。サラシナソバが喉を滑り落ちて行く。ツユのいい香りが口に残る。続けてソバをちょいと摘む。
「ハシも随分上手くなったじゃないか? ジャン」
「そだね。あっちじゃどうしても使えなくてフォーク出してもらってたのにね」
ベルナルドがどこからか買ってきた『How to use chopsticks』って図解入りの本で暇にまかせて練習したらもう、自由自在。何するにも片手のハシひとつですむから楽ー。
「ふふ。ハシで食事するおまえの仕草はセクシーでたまらないよ。指が綺麗に動くね。…ああ、摘んで欲しいな…」
ベルナルドがワサビとシラガネギををツユに入れた。
「何を?」
「俺のペニス」
ぶは! んな事言うんじゃねぇ。ソバ、鼻から吹きそうになっただろうが!
ここはジャポーネで英語やイタリア語なら周りに何言ってるか分からないだろうと思って、こいつはタガが外れたようにTPOをわきまえず、かなり不道徳な事を平気で口にする。この前英語で卑猥な事を言ってたらすれ違った学生サンがぎょっとした顔をしてたので最近はイタリア語だけになったけど。必要以上に真面目な顔を作りながら口には極悪なエロワードだ。二人だけの時ならまだガマンもしてやるが、食事中とかマジ止めて欲しい。
「ハシでペニスをつまんでオドリグイってのはどうかな…こう…口の中でぴくぴくと動くよ。いや怒張するかなカチンカチンに」
「バカ野郎だな、相変わらず。次に提案したら泌尿器管に突っ込んでやるぜ、コレを」
にっこりして箸を振り回す。ベルナルドがこれ以上恥ずかしい事を言わないように多少過激に言い返してやる。
「ハハ、そういうプレイがしたい? じゃ、お互いにし合おうか? ああ刺激的だ」
おわっ。なんつー提案だ。何だか痛くなってきた…、ちきしょー。上目遣いで睨みつけるとベルナルドは財布から十銭玉(最初はセンがセントに聞こえて困った)を三枚数えながらニヤニヤと嬉しそうに笑った。覚えてろ!
「ふえー! ソバ、美味かったー! ショーユとカツオブシ最強だな!」
うっかり押して「どうして開かねぇ 」と焦ることもなくなったスライド式の扉を開けてナワで出来たノレンをくぐる。
「ジャンは可愛いな…。俺が乳首をハシで摘みたいって言ったら許してくれるかい?」
「ううん、ダメよダーリン。そんな事したら…」
電信柱の陰に回り込み、しなだれ掛かるようにベルナルドにもたれる。何かを期待したベルナルドが俺の腰に手を回した。
「――分かってるよな? ベルナルド。セックスに拒否権を行使するぜ。つまり、ストライキだ」
俺は唇を湿しながら上目遣いをして――毒を吐いた。
サンフランシスコからヨコハマまでの船旅の間、俺は一度セックス・ストライキをした。ベルナルドにはそれが相当辛かったらしく、こう言うと大抵の事は折れてくれる。その証拠に手が腰から離れた。
…もっとも辛い思いをしたのは、まあ、ベルナルドだけじゃ無くて、ストライキは二日とちょっとしか保たなかったんだけどね。ここはお互い様かも知れない。
「さて、郵便を出したから今日の業務は終了だ。夜まで何をしたい? 希望はある?」
タガ外れは止めて真面目モードのスイッチを入れたんだろう、ロブスターに似てるがビミョーに違うでかい海老の絵のついた扇子でポニテの首筋に風を送りながら聞いてくる。毎日がホリディな俺たち、のらりくらりと観光しつつ暮らしてます、はい。
「いんや、オレは無い。アンタは?」
「ジンボーチョーってところに行きたいんだが」
「オッケ! またテンプルでブツゾー見んの?」
「今日は違うよ。ああ、ここからなら路面電車に乗ればいいな。坂を下りて右だ」
道ばたで笑い合いながらイタリア語の書き込みがいっぱいの地図を拡げる俺たちは一体どんな関係に見えるんだろう。ふと視線を感じて周りを見ると、グレイのワンピースドレスを着たレディが俺たちをチラチラ見ては通り過ぎるところだった。ガイジンサン、珍しいよねー。目が合ったので営業用でにっこり笑いかけたらキレイな黒髪を揺らしてびっくりして逃げてった。ジャポーネに来てみんな髪の毛真っ黒でびっくりした。あれ、ブラック・ショックって言うんだってさ。
ああ――その服だったら靴は茶より黒がいい。帽子はもうちょっとブリムが狭い方がアンタには似合う。被るのは深めがベター。何よりストッキングの縫い目が歪んでるのがいただけないぜ。ここは最初に確かめるところだ。
最高の――虚構のファム・ファタールだった俺からのアドバイスだ。レディの後ろ姿にチェックを入れながらオレは誰にともなくウィンクを投げた。
「何? レディが気になるのかい?」
「いんや、俺あんな窮屈そうなヒールとか、よく耐えてたなって思って」
「ふふ、実に得難い体験だったね、あれは――お互いに」
「この野郎、思い出させるなって!」
まだまだ強い日射しの中、坂道を走って下った。